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Aja / STEELY DAN
Straysheep ★★ (2005-08-25 07:55:00)
食っていくために仕方なくROCKをやっていたドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーが、お金を貯め、ついにROCKを止めて自分達のやりたいようにやってのけたアルバム。
DVDで発売されているAJA製作のドキュメンタリー作品の中で、ドナルド・フェイゲンはこんなことを話している。
「僕達は最初のテレビ世代で、テレビの映像とともに流れている音楽、また映画のサウンドトラックとして使われているチープなジャズやジャズまがいのものにとても影響を受けているんだ」
頭の中にこびりついて離れない、テレビっ子だった少年時代の記憶。テレビの中の出来事こそが真実で、現実に自分を取り巻くあれやこれやの日常はみな、白っ茶けた味気ないものばかりだった。現実にはないもの、かといって頭の中には抜きがたく残っている甘美な印象、その空気感、その肌触り、そして・・・その実体化への常軌を逸した挑戦が始まった。
形にしようと思えば思うほど腑に落ちず、何度も何度も消しては描きを繰り返し、やっとそれらしくなった時には膨大な時間と予算とスタジオミュージシャンの死屍累々が積み上がっていた・・・というわけだ。
現実には無い、理想化された印象の実体化という点において、本作での膨大な物量投入の試みは、どこか北大路魯山人の美食探求の試みと同質のものがあるように思えてきた。
魯山人にとっての究極の美食とは、何気なく供される、作為の欠片も無い、それでいて寛ぎと慈愛に溢れた「おふくろの味」だったのだそうだ。
魯山人には母の記憶が無い。
幼くして死別してしまった母、その母がもし自分に「ごはん」を供してくれたなら・・・。
狂おしいまでに理想化された母の幻影を実体化するために、それこそ狂的なまでの物量投入が強行された。
このアルバムでフェイゲン、そしてベッカーというドイツ系アメリカ人ふたりがやったこととは、まさにそれだったと言えるだろう。
そこにあるのは・・・
いつものように何気なく点けたテレビから流れる、作為の欠片も無い、面白かったりつまらなかったりするけれど、無くなってしまっては困る僕にとっての真実、そしてそのサウンド。
このアルバムを世界一愛している人間は、言うまでもなくドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーという気難しい、オヤジの体をしたふたりの子供である。
私などは、チラッと眺めて「あぁ、スティーヴ・ガッドのドラム最高ね」などと月並みな感想をほざくくらいの愛情しか、残念ながら持つことはできないなぁ。
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