1994年12月10日にインディーズでリリースされた1st Album。
1989年3月、今村栄喜は「女の子にもてたい。そのためにも格好良いバンドを組んで目立とう」と思い立ち、友人の中川泰(NATIN)を「お前ベース弾けるんだろ?やれよ」と誘ってSIAM SHADEの母体となるバンド、POWERを結成した。同年、YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVALに出場してサマーグランプリ賞(優勝)を受賞。POWERとして暫く活動をしていたが、突如メンバー数人が脱退。NATINは明治大学進学を目指して受験勉強に励んでいたが、両立は許されず、「バンドと受験どっちをとるんだよ」と栄喜に武道館の夢を聞かされて、バンドをとることに。残留メンバーはバンド活動継続のために音楽仲間や友人を勧誘。この時、伊藤大太(DAITA)が一度加入しているが「音楽性が合わない」とすぐに脱退してしまっていた。その後知り合ったATARUと新バンド、ataru(アタール)を結成。1992年、LOVE JETSというバンドでボーカルをしていた遠藤一馬(KAZUMA)を栄喜が勧誘。その際栄喜は「自分は他のバンドに移籍する(ataruを辞める)ので、POWERのボーカルを引き受けて欲しい」と告げていたが、結局、脱退はせずに留まったため、ツインボーカルの形式をとることになった。その後DrにA(EI)が加入。
1993年、レコーディング費用として貯蓄した約100万円を使って4曲入りデモテープを制作し無料配布する。これを機にバンド名をSIAM SHADEに改名。同年7月、「やはりギターはDAITAしかいない」とメンバー内で意見が一致し、DAITAを探し出してバンドに復帰してくれるよう説得した。のちに快諾を得ることに成功する。当時は長髪に濃いメイクをするヴィジュアル系に倣ったコンセプトだったので、加入直後はまだ短髪だったDAITAは髪が伸びるまでカツラをかぶってライブに出ていた。同年5月に佐久間淳二(淳士)が加入した。
この5人のSIAM SHADEにとって、最初の音源となったのがこのアルバム『SIAM SHADE』である。
オリコンインディーズチャートで初登場2位を記録。
現在は廃盤となっているが、2012年4月にインディーズの他の曲を加え、さらにリマスタリングされて『SIAM SHADE SPIRITS 1993』としてオンラインショップで完全限定生産発売された。その後5月からはiTunes Music Storeでも販売が開始された。 「END OF LOVE」、「DOLL」について、オフィシャルサイトや販売サイトの紹介文ではインディーズ時代の未発表曲という記載があるがデモテープ等で既発表である。