1982年7月21日、日本コロムビアよりリリースされた2ndアルバム。
帯コピーは『悪魔伝説は今、日本全土に語り継がれた!。』
ジャケットは、前作では胎児が中にいた水晶がそこから誕生して割れている。
前作リリース後、12月17日に浅草国際劇場にてデビューコンサートを実施。「日本のハードロックは売れない」と言う当時の邦楽界の見方に反し、3000枚近くあったチケットは即座に完売し、関係者を驚かせた。
1982年1月18日、中野サンプラザで行われた『JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL』、22日には大阪毎日ホールで行われた『JAPAN HEAVY METAL FANTASY』といったイベントに出演。二井原はプロ経験が浅かった事もあり、多くのミスを犯してしまった事から初めてプロとして活動する厳しさを痛感した。4月6日には本格的なツアーを開始するが、4月10日で行われた日比谷野外音楽堂公演で大音量で演奏した事から近隣住民からクレームが殺到したとの事で出入り禁止を下されたとの噂が広まったが、高崎曰く「出禁と言うよりは、その後しばらく出られなくなった」との事である。
エンジニアにジョージ吾妻の紹介でDaniel McClendonを起用したが、サウンド的には前作の延長上であった(実際に前作からのアウトテイク曲もある)が『誕生前夜』以上の売上を記録した。
Producer:LOUDNESS